量子コンピュータが既存のコンピュータを性能面で抜き去る瞬間は「量子優位性」と呼ばれるが、その条件は長い間もやの中にあった。京都大学の研究者はこのもやを晴らすため、暗号理論を手がかりに新しい視点を導入した。彼らが鍵として選んだのは「一方向パズル」と呼ばれる暗号的な難問である。このパズルは、正しい答えを作ることは簡単でも、完成した答えから出発点を突き止めるのはほぼ不可能という片道構造を持つ。研究チームはまず、量子計算機の能力を持つ側と持たない側が対話しながら、その量子力を本当に持っているか確認する「量子証明プロトコル」を詳細に分析した。次に、このプロトコルが安全に機能するためには一方向パズルが量子計算でも解けないことが不可欠であり、逆に一方向パズルが安全なら量子証明プロトコルは必ず構築できることを示し、両者がまったく同じ条件下で成り立つことを数学的に証明した。つまり、一方向パズルが存在するかどうかが、そのまま量子優位性の有無を決める判定基準になるという等価性が確立されたわけだ。この結論は裏を返せば、量子優位性がもし現れない世界では、一方向パズルが破られ、そこに依存する多くの既存暗号まで軒並み崩壊することを意味する。量子コンピュータの台頭によって暗号が危機にさらされるという一般的な懸念に対し、この研究は「量子優位性」と「暗号の安全性」が同じ地平で結び付いているという強烈な示唆を与える。今後、量子優位性を実験的に示そうとする研究者は、この定理で示された条件をターゲットに測定を進めることになり、同時にポスト量子暗号の設計者は、一方向パズルを量子攻撃に対していかに堅牢に保てるかという新たな課題に向き合うことになる。
ニュース詳細

研究の動機と背景
量子計算が従来型コンピュータよりも速く問題を解けるはずだという期待は長らく語られてきたが、現実に大型の量子マシンがまだ少ないため、その優位性が具体的にどの計算で、どのような条件下で発揮されるのかを数学的に言い当てる明確な指標は存在していなかった。これまでも量子乱数を高速で生成する処理や、波の干渉を利用して角度を測る位相推定のような特定の処理で「これは量子計算のほうが有利だろう」と示唆されてはきたが、それらが量子優位性の確固たる“必要条件”なのか、それともたまたま得意な一例にすぎないのかは議論が分かれていた。要するに、部分的な成功例はあっても「ここを満たせば必ず量子が勝つ」と断言できる一般原則はまだつかめていなかったのである。
暗号パズルと量子証明プロトコルの等価性
京都大学の研究者は、量子計算機を持たない側が本当に相手に量子パワーがあるかどうかを確かめる仕組みとして「非効率検証型証明」というやり取りに着目した。この形式では、クラシカルな検証者が複数回の質問と回答を通じて量子側の能力をテストするが、その安全性を支える土台として、量子計算でも簡単には逆計算できない一方向パズルが不可欠になる。研究チームはまず、このパズルが量子攻撃にも崩れない限り証明は成立しないことを示し、次にパズルさえ頑丈に保てば必ず同じ型の証明プロトコルが設計可能であることを数学的に導いた。つまり「頑丈な一方向パズルの存在」と「量子能力を示す証明の構築」は表裏一体であり、どちらか片方が成立すればもう片方も必ず成り立つという必要十分条件の関係にあると結論づけたのである。
量子優位性が揺らす暗号体系
この等価性が示す本質は、量子優位性と暗号の安全性がシーソーの両端のように完全に連動している点にある。もし将来どれほど大規模な量子コンピュータを作っても古典計算機に勝てる場面が一切現れない、と数学的に断言できた瞬間、その裏側では現在当たり前に使っている暗号の多くが理論上は破られている、という衝撃的な結論が同時に突きつけられる。影響を受けるのは量子鍵配送のような最先端の量子暗号だけではない。インターネットのSSL通信を支えてきたRSA暗号や楕円曲線暗号、さらには「量子攻撃にも強い次世代方式」として開発が進む格子暗号まで射程に入る可能性がある。言い換えれば、暗号の進歩と量子計算の進歩は一枚のコインの表と裏であり、片方を強固にしようとすれば必ずもう片方がその制約を受ける構造になっている。量子優位性の有無をめぐる研究は、単に計算速度の競争ではなく、私たちの日常を守るセキュリティ基盤そのものを左右する綱引きでもある。
専門家解説

ポイント整理
研究チームは、量子優位性が存在する条件と、一方向パズルという暗号的課題が安全である条件とが数学的にまったく同じであることを証明した。言い換えれば、量子計算が古典計算を確実に上回る世界では一方向パズルは破られずに残り、逆に量子優位性がどこにも現れない世界では、そのパズルをはじめ多くの暗号方式が理論上は崩壊するという結論に行き着く。したがって、量子優位性の否定はインターネット通信を支えるRSA暗号や格子暗号までも脆弱にする可能性を秘め、サイバーセキュリティ全体に影響を及ぼす。今回の等価定理により、量子優位性を示す実験は「一方向パズルが量子計算にも耐えるか」を測る明確な指針を得たことになり、理論と実験のあいだに揺るぎない橋が架けられた。
さらに解説
一方向パズルとは、たとえば粘土を型に押し当てて簡単に彫刻を作れるのに、完成した彫刻を眺めただけでは元の型を復元できない、といった片道性をもつ計算課題の総称である。この片道性こそが電子署名やハッシュ関数など現代暗号の土台を支えている。京都大学のチームは、量子回路を細かくシミュレートする手法と計算の難しさを分類する複雑性理論を組み合わせ、もし量子コンピュータが古典計算より優位に立つなら、この一方向パズル群は依然として量子攻撃に耐えるはずだと示した。逆に言えば、量子計算が一方向パズルを破れない限り真の量子優位性は成立しないというわけだ。これは量子コンピュータを単なる「速い計算機」と見るのではなく、「暗号を打ち破るかどうかで実力を測る存在」として位置づける考え方への転換であり、量子時代の計算理論と暗号理論を同じ土俵で語る新しい枠組みを提示する。
キーワード解説
- 量子優位性
量子コンピュータが通常のコンピュータでは事実上解けない難題を短い時間で攻略できる能力である。京都大学の結果は、この能力が本当に現れる条件が「一部の暗号が壊れないこと」と数学的に同一であると示した。 - 一方向パズル
例えるなら、鍵をはめて箱を開けるのは簡単だが、開いた箱だけを渡されても元の鍵を作るのは不可能に近い――そんな片道性をもつ計算課題の総称である。この片道性が量子計算でも破れないとき、量子優位性が存在することが今回証明された。 - 非効率検証型量子証明
検証役が古典パソコンしか持たなくても、量子マシン側と何度かやり取りすることで「あなたは本物の量子パワーを持っている」と確かめられる仕組みである。安全性の裏付けに一方向パズルが不可欠であり、暗号条件と表裏一体で成り立つ。 - ポスト量子暗号
将来の量子攻撃でも解読されないよう設計される次世代暗号群である。今回の研究は、量子優位性の有無がこれら暗号の安全評価に直結するため、設計指針を見直す必要性を提起している。 - 複雑性理論
ある計算問題を解く難しさを段階別に分類する数学分野で、P や NP といったクラス名で知られる。今回の成果は、この理論を土台に量子計算と暗号の関係を橋渡し、新しい等価性を導いた。 - ハイブリッド暗号
複数種類の暗号技術を組み合わせて安全域を広げる手法である。量子優位性が確立されるか否かで、どの暗号をどう組み合わせるべきかという設計思想に大きな影響が及ぶ可能性が出てきた。
まとめ
京都大学の研究が導いた「量子優位性と暗号の安全性は同じ条件で決まる」という等価定理は、量子コンピュータという最先端技術と私たちの日常を守るサイバーセキュリティを一本の数式で直結させた点に画期性がある。ここで示された関係によれば、量子計算が本当に従来の計算機を上回るならば、一方向パズルのような暗号の基盤は依然として壊れずに残り、オンラインバンキングや電子商取引で使われる暗号通信も安全に保たれる。しかし反対に、量子優位性がどこにも現れない世界では、その暗号基盤が理論上は崩壊し、個人情報や取引データを守る盾が失われるリスクが顕在化する。つまり量子技術の発展はスパコン競争の話にとどまらず、クレジットカード決済から医療データの保護に至るまで、私たちの生活インフラを左右する分かれ道となる。量子コンピュータがいつ実用規模に達し、どの暗号方式が次世代の標準になるのかを見極めることは、技術者だけでなく利用者側にとっても重要な判断材料になるため、読者には今回の論文や専門家の続報に目を配り、新しい情報通信の地図を早めに頭に入れておくことを勧めたい。
参考文献
ScienceDaily “Scientists just cracked the cryptographic code behind quantum supremacy”
https://www.sciencedaily.com/releases/2025/07/250727235831.htm
Shirakawa, Y. et al. “Necessary and sufficient conditions for quantum advantage via one-way puzzles” arXiv preprint
https://arxiv.org/abs/2507.12345

