IBM、誤りゼロの量子スーパーコンピューター「Starling」を発表──現行比2万倍速で2029年稼働予定

 米 IBM は 2025 年 6 月 10 日、世界で初めて大規模なフォールトトレラント(障害耐性)量子コンピューター「IBM Quantum Starling」を公開し、2029 年までの本格稼働を宣言した。ニューヨーク州ポキプシーに新設される量子データセンターに搭載される本機は、既存システム比で 2 万倍に達する演算能力を誇り、論理量子ビット 200 と量子ゲート 1 億を同時制御する。その中核には独自の qLDPC エラー訂正アルゴリズムが組み込まれており、実用レベルで演算誤差を事実上ゼロに抑える設計となっている。これにより医薬品分子の新規設計、ナノスケール半導体の精密シミュレーション、ミリ秒単位の金融リスク解析など、古典計算では立ちはだかっていた壁を一気に突破する可能性が高まった。発表翌日の市場では期待が一気に先行し、IBM 株は史上最高値の 276.24 ドルを記録。量子分野で競合する Google、Amazon、Microsoft も同日までに新たな量子チップ戦略を打ち出して追随したが、ロードマップの具体性と実行可能性の両面で IBM が一歩先行した格好となった。

引用:https://www.ibm.com/quantum/technology

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qLDPC が変える「量子エラー訂正コスト」

従来主流の surface code では、1 論理量子ビットを守るのに1,000〜3,000 物理量子ビットが要り、配線や読み出しラインも比例して膨らむため、冷凍機の熱負荷や装置コストが指数関数的に跳ね上がっていた。
IBM Starling が採用する qLDPC(quantum Low-Density Parity-Check)コードは、検査行列を疎に保つことで符号化率を劇的に高め、同じ論理ビットを100〜200 物理量子ビットで保護できると試算されている。必要資源は表面コード比で 1/10 以下に圧縮される計算だ。

物理量子ビットが10倍減れば、制御ラインの本数もほぼ同倍率で減り、冷凍機1台あたりの熱負荷は数百ワット規模に収まる。結果として、ラックマウント型の量子モジュールを並べる構成が現実味を帯び、Starling が掲げる「200 論理量子ビット/1 億量子ゲート」を約1万物理量子ビットで実装できる根拠となる。

さらに qLDPC は誤りしきい値が高く、物理誤り率1%近傍でも論理誤り率を10⁻⁹オーダーに抑えられると報告される。長時間連続する深い量子回路でもリセットや再初期化を挟まず走らせることが可能になり、分子シミュレーションや金融リスク解析など、従来のNISQ機では届かなかった実務領域を狙える見込みだ。

「20,000 倍」の裏付け—論理ゲート 1 億の意味

量子アルゴリズムの実行規模は「ゲート数×論理ビット数」で概算される。IBM は Starling を 1 億ゲート/200 論理ビットで設計。Shor のアルゴリズムを例に取れば、RSA‑2048 解析が数時間内に短縮される理論計算もある。これは現行 Noisy Intermediate‑Scale Quantum (NISQ) 機では不可能だった計算量だ。

なぜポキプシーなのか—冷却とクラシカル連携

IBM Poughkeepsie 施設は Z 系メインフレームを冷却してきた超低温インフラを流用可能。量子→古典処理の往復遅延を 10 μs 未満に抑え、リアルタイム誤り訂正を連続稼働させる狙いがある。

筆者解説

引用:https://www.ibm.com/quantum/technology

業界ロードマップ比較—Starling vs. Willow vs. Amazon Braket

Google が進める次世代量子プロセッサ「Willow」は、古典的な surface code を堅持するため、1 億論理ゲートを回すには約 100 万個もの物理量子ビットが必要になると見積もられている。物理ビット数が膨大になるぶん、希釈冷凍機や制御ラインが増え、装置サイズも電力も指数関数的に膨らむ。一方、Amazon のクラウド向けプラットフォーム「Braket」は 3D 集積チップとレーザー光リンクを組み合わせたハイブリッド方式を採り、2030 年前後のサービス投入を掲げるが、エラー訂正は依然として surface code ベースで、冷却と光学系の複雑化が避けがたい。これに対し IBM Starling は qLDPC を採用し、同じ 1 億ゲート規模をわずか数万物理ビットで賄えると試算する。ビット密度が二桁効率化されることで、ラックマウント型モジュールを標準電源で駆動でき、冷凍設備の熱設計も大幅に簡素化される。結果として、データセンター運用コストとメンテナンス負荷の両面で Starling が競合を一歩リードする構図が浮かび上がる。

投資家視点—株価と TAM (総潜在市場)

IDC は量子市場を 2028 年に 86 億ドルと予測。IBM 株は発表翌日に年初来 +25 % に到達。量子関連 ETF への資金流入も加速し、IonQ・D‑Wave など純粋プレーヤーの出来高が 2 倍に跳ね上がった。量子投資は「実用化タイムライン」が最重要指標で、Starling の 2029 明言は市場心理を押し上げた。

社会実装シナリオ—最初のキラーアプリは?

筆者が最初のキラーアプリとみなすのは、生成 AI と連携した創薬シミュレーションである。大規模言語モデルが数百万種に及ぶ候補分子を即座に設計し、その量子エネルギー地形や反応経路を Starling が一括して精密計算することで、従来は古典スーパーで数か月を要したスクリーニングを数時間〜数日へと短縮できる見通しだ。計算精度が臨床試験の合否ラインに直結する毒性予測や副作用解析でも、トンネル効果を含む量子挙動をそのまま扱えるため、安全域が定量的に評価でき、前臨床フェーズの失敗リスクが劇的に下がる。結果としてリードタイムと開発コストはいずれも 1/4 まで圧縮され、変異が速い抗がん剤や耐性菌向け抗生物質など、従来はサイクルの長さがネックだった領域で上市時期を半期以上前倒しできる公算が大きい。創薬企業にとって Starling は「実験室の外部脳」として逐次契約される可能性が高まり、量子コンピューターの社会実装がまず医薬品開発から始まるという筋書きが濃厚になっている。

用語解説

  • フォールトトレラント (Fault‑Tolerant): エラーを検出・訂正しながら長時間演算を継続できるシステム設計。
  • qLDPC: quantum Low‑Density Parity‑Check。少ない隣接関係で高効率なエラー訂正を行う量子版 LDPC コード。
  • 論理量子ビット: 物理量子ビット多数を束ねてエラー訂正した“実用ビット”。
  • 量子ゲート: 量子状態を操作する命令単位。クラシックでの「命令」と同義。
  • NISQ: Noisy Intermediate‑Scale Quantum。エラー多発で用途が限定される現行世代を指す。

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